2007年3月

もう、11年も前になるんだなぁ。。。

3/17も3/24も土曜日でした。多分ずっと忘れない。

(ちなみに、阪神淡路大震災の日は月曜。

この3日間は、私の中で一生忘れない日)

 

2年ちょっとの闘病があり、眠るように明け方亡くなった友人M。

辛くて辛くて辛くて、その想いを聞いてくれたくせに、

次の週に亡くなってしまった友人K。

誕生日が10/31と11/1で近くて、死ぬ日まで

近くなくても良いじゃないかと思ったなぁー…。

 

昔、別の友人が亡くなったMちゃんの事を書こうとしたら、

ブログが更新不可能になった…と聞いた記憶。

今から、彼女の2年半を書こうと思いますが

最後に更新出来なかったら、諦めるね(^^;;

 

闘病中は病気の事を敢えて知ろうとしなかった私。

知っても意味がないし、治るものだと。

また当たり前に会えると思っていたから

何も知らないまま、2007年の春に彼女は旅立ちました。

亡くなってから、10万人に1人くらいの凄く珍しくガンだった事など

ご両親からいくつか教えてもらいました。

そんなご両親も、お父様は一昨年の年末に他界。

今はお母さんが、3人で暮らしていた家に1人で住んでます。

そんなお母さんから聞いた、当時の事。

 

遡る事、13年以上前になるでしょうか。

30代前半だった友人は、腰痛に悩まされていたそうです。

整形外科などに通い、ヘルニアの治療をし、

2ヶ月以上通院しても一向に良くならず、

挙げ句の果てに、精神科への転院をすすめられ…はあああ?ってブチ切れ。

そこで市立病院での診察を決意し、

受診の結果、足に相当なガンが見つかったそうです。

 

すぐに手術可能な大きな病院を紹介してもらい

そちらからは、どうしてこんなになるまで…!と言われたとか。

あまりにも大きかった為にこの時点で片足切断の話もあったそうですが、

さすがにそんな勇気はなく。

まずは抗がん剤治療を1〜2ヶ月したそうです。

結果なにも変化はなかったので、切開し

ガンと思われる部分を大きく切除。

 

摘出すれば、写真なり実物なりでそのガンを

医者から見せられちゃうのですが

お母さんは写真だったとか。

でも、写真ですら衝撃的で、、、未だに

ある時期の食材を見ると気持ちが悪くなるそうです。

分かる…

私も父の胃がんをナマで見たもんなぁ(>_<)

 

ちょっと話がずれました。

彼女はその後、退院します。

 

それからも、定期検査のたびに何か見つかり

彼女は入退院を繰り返していました。

肺に2センチほどの転移があって、放射線治療をするも

4センチほどになってしまい手術したり、

足がまた、以前の様な痛み方をしてきたので

検査したら、ガンが残っていた。とか。

その時、彼女はすぐに切断する事を決意したそうです。

1年前では悩みに悩んで切除を選んだのに…

ここに来てすぐ切断を決めた彼女の気持ちは

今となれば凄く分かる気がします。

切って、なくしてしまえば元気に生きられるって思うよね…

 

片足切断の手術は成功し、

念のための抗がん剤治療を始めたそうですが、

通常2-3ヶ月にかけて数回行われる投与なのに

1度投与した1週間後に退院出来る事になったとか。

 

11月頃の退院の日、お母さん達にだけ先生は、

もしかしたら、桜を見る事は出来ないかも…と言われたそうです。

翌月、私たちは彼女の家に行き、恒例の鍋パーティをしました。

片足を失ったことを、少し気にしている彼女でしたが

いつも通り他愛ない話をしたり、M1を見て

チュートリアル面白すぎると笑った記憶。

その時の笑顔が、私の最期の記憶です。

 

翌年2007年の2月に、彼女のお母さんから電話がありました。

娘はもう長くない。それを本人は知らないけれど、

私たちに逢いにきて欲しい?逢いたい?と聞いたら

ちょっとこの姿は見せられないなぁ…と言っている、と。

なので、私たちは逢いに行けませんでした。

そして3/17土曜日、環状線に乗り職場に向かう途中で、彼女が明け方亡くなった事を知ります。

 

年が明けてからは痛みがひどく、それに対して

高額かつ麻薬のようなキツイ最高レベルの痛み止めテープを2枚も貼り、

その副作用で朦朧としたり、具合が悪そうになったりもしていたけれど

亡くなる前日の金曜日は、19時ころに、

晩ごはん食べようかなぁー…と居間まで来た事。

でもやっぱり要らないなぁーって隣の部屋に戻り、

探偵ナイトスクープをニコニコしながら見ていた事。

なんとなく気になったお母さんは側にいたそうですが

番組が終わる頃に、ちょっと横になるねーと寝たは良いけれど

とても大きなイビキをかきはじめたそうです。

 

お母さん達は以前、先生から

もし、突然イビキをかきはじめたら注意してと言われていたので

すぐに往診の先生に来てもらったところ

イビキが消えたり、また出たりする姿を見て

潮の満ち引きで、もしかしたら明け方かもしれない。と言われたとか。

 

そして明け方。

再び彼女のイビキが始まってしまい、それが止まり

あっ。と思った瞬間、彼女はふっ。と息を吐き

そしてそのまま静かに亡くなったそうです。

 

もがき苦しむ姿ではなく、本当にあっという間に

一瞬だけ声をあげて亡くなった事と

前日の、何気ない暮らしぶり。

11年たった今も、鮮明に覚えているとか。

 

お父さんも、病状は違うものの

一昨年の暮れに彼女と同じ部屋(つまり自宅)

で亡くなりましたが

その時も大きなイビキが聞こえてきたので

2007年のMちゃんのことを思い出し

まさかと思っているうちに、また同じように

イビキが消え、一瞬声をあげて、

お父さんもそのまま亡くなったそうです。

 

こんな話を聞くと、虫の知らせというか

目に見えない何かって本当にあるんだなと。

そして10年以上たって、改めて友人Mは

何度も辛い事実をつきつけられたのに

その都度このやろー!って闘っていた…

凄い子だったんだなと思いました。

抗がん剤、手術、転移、放射線

再発、手術、切断…抗がん剤

どんな気持ちで繰り返していたんだろう。

 

今日、彼女と心の中で話したのは、

もうちょっとだけ待ってね。

うちの母さんを連れていかないでねーってお願いしてみたんだけど、

30過ぎの若いままの彼女は、ただ笑ってました。

叶えてくれるか、くれないか(^^;;

 

彼女は流石に若過ぎましたが

(そーいや、3/24の奴も同じだ!何しとんねん)

それから10年がたち、今の私は

死に対して恐怖心よりも、受け止められる

気持ちの方が強く。。。

あぁ、年とったなー

人生、折り返しやなー…

 

人はいつか死んでしまう。

その期限がもし分かるなら

それまでにすべき事をできるだけした方が

悔いのない人生なんじゃないかなぁ。

 

友人Mと、今晩夢でまた会えそうな気がします(^^;;