翌日

kuma-pote2011-07-02

チェックアウトが11時だったので
7時過ぎに贅沢〜なバイキングで朝食を済ませた後も
のんびりごろごろ...
(展示が10時からだったし)
贅沢な時間でございました。


10時前にチェックアウトをして、いざ鞆の浦へ。
駅前から20分ほど走ったら海が見えてきて
いかにも!っていう大型お土産店があって
その先を進むと...道、せまっ!!!
ホントに狭い。対向車が来たらお互いに空気を読んで
ちょっとした駐車スペースで待ったり、
待ってもらったりして通る様な道や
一方通行がある一角が「鞆の浦」でした。
適当なパーキングに車を停めて、まずは
いろは丸展示館(200円)へ...
その手前には、1863年に京都を追い出された三条実美さまらが
長州へ向かう途中?に泊まったという宿がありました。
ばっちり幕末だし、龍馬伝にも出てきた所(鞆の浦ではなく)
なのですが、そんなに興味がなかったので、実美さまに
関してはスルーで。


いろは丸は、最初ちょっと勘違いしていて
龍馬さんが乗っていなくて、天候不良で沈没した
船かと思っていたのですが
そっちじゃなくて、その翌年(1867年)の4月に
銃だの砂糖だのを乗せて京都へ向かっていたところに
紀州藩の明光丸とぶつかって(船員は助けられた)
その後沈没した船の事だったんですよね←勉強不足
んで、船には沢山の商品が積んであった(らしい)から
日本で初めての海での事故として保証金等を
どうするか話し合われたという。


噂の一部では、いろは丸が悪かったとか
実は船には銃や砂糖は積んでいなかったとか
(砂糖は溶けてしまうから仕方ないとして
銃が未だに見つかっていない)
色々と物議を醸し出しているようですが
この鞆の浦で龍馬さんたちは2〜3度紀州藩と話し合いをし
そこでは決着がつかなかったので、長崎に持ち越し
後日、いろは丸は多くの慰謝料(的なもの)を
得る事が出来たそうです。


相手が幕府側なので、龍馬さん達は宿泊地を公に
していなかったそうですが、
ここ最近の話で、大阪かどこかにいる高齢の女性が
「(今は誰も住んでいない鞆の浦の)実家の屋根裏に
隠し部屋があり、坂本龍馬が泊まった云々」という
古い言い伝えを思い出し
それを聞いた息子さんが、荷物を取りに行ったついでに
その実家の屋根裏(天井)を剥がした所
なんと...部屋が!!!あったそうです。
(ざっくりな説明)
地元のパンフレットには無料と書いていたので
家の玄関にでも案内板があるだけかと思って行ったら
受付があって、中の様子(屋根裏部屋も)が
見れる様になっていました。
200円なり。1階なんて普通の田舎の家ですからね〜。
なかなか良い商売だなぁと思いました。
すいません。


街の中でお金を出してみたのは
いろは丸展示館と、こちらの商家だけ。
まぁ、博物館みたいな所が月曜でお休みだったのも
ありますが。
とても小さな街なので、1時間もあれば充分かと
思いきや、なんと3〜4時間も滞在しておりました。


龍馬さんがこの地に居たのは
たった4日間ほど。
それでも、高知、長崎に負けないアピールは
凄いなぁと感心しました(^^;
あとは、何故かジブリのサイン色紙があって
「は?」と思ったのですが
その後、ポニョの看板もあって
もしやココが舞台になったのかしら?と。
結局ポニョはジブリ作品なのに見ていなくて
詳しくは知らないのですが。恐らく。


長くなったので、この後の事を明日ちらっと書いて
終わりにしまーす。